【新人ライターのもうひとつの仕事術】今使える時間とお金の燃焼率を見定める

ボクは、ボクたちの中に眠るシード(種子)が無限の可能性を秘めていると信じています。ボクは、この信念にもとづいて、このブログを書いています。しかも誰しもが同一の環境のもとに育ち、同一の条件の中で生きているわけではありません。

それにボクたちのシードには、生まれながらの個性があります。だからそれぞれが異なる可能性を秘めていると考えるべきだと思います。とすれば個性をもったシードが異なる状況の元に育つのですから、「今すぐできること」に多様な違いが出てくるのは当然です。

つまり新人ライターといっても人それぞれです。書く仕事の経験があってはじめる人。持たないではじめる人。書く仕事を経験させ、そのうえに報酬や給料をもらえる知り合いや取引先を知っている人。知らない人。

それが自分の今の個性であり能力であり機会なので、それ自体に良いも悪いもありません。たまたまそうなっているのです。そうであることは偶然に過ぎません。ただそれは、多様な可能性を秘めているシードが、偶然の機会の積み重ねの中に生きてきた結果、そういう現状が、今、ここにあるというだけのことです。

でもそれは「月〇〇万円」稼げるようになるまでの期間が、人によって異なることを意味します。ボクたちは、「今すぐできる小さなこと」から始めて前に進もうとしています。しかし「今すぐできる小さなこと」が小さければ小さいほど、書く技術の上達や案件獲得に時間がかかります。

そのうえ現実世界を生きるボクたちは、厳しい制約に囲まれて生きています。

副業であれば収入に見合った生活をしている限り、生活費の心配をしなくて済みます。その代わりに自由にできる時間が足りません。だから書く仕事に集中できないこともあります。フリーランサーだったら上限はありますが、時間を自由にできるでしょう。でも収入が安定しないことがあります。

そんな時には今後の見通しが立たない。このまま時間だけが過ぎていってしまうのではないだろうか。言いようのない不安やあせりにとらわれてしまうこともあるでしょう。

人間の脳の容量はそんなに大きいものではないようです。つまり認知資源には限界があります。この認知資源にとって不安やあせりは最悪最凶の強敵です。あっという間にボクたちの脳を占拠して、「書く仕事」に向かう熱意を奪います。ボクたちの心を消耗させます。

この強敵を倒す万能の武器をボクは知りません。

だけど「今使える時間とお金の燃焼率を見定める」方法があります。これはいくつかある方法のひとつに過ぎません。でもボクはこれによって、不安やあせりをいったん横に置いて、書く仕事に熱中する力を取り戻せることを経験したのです。

□ぼくらは『無理ゲー社会』に参加させられている?

作家の橘玲は、その著書『無理ゲー社会』で書きました。ボクたちの能力には格差があると。だから競争社会に生きるボクたちは、公平ではない競争に参加させられていると。『無理ゲー社会』は、「公平」と「平等」をこのように定義し、この両者が両立しないことを示しています。

公平とは、子どもたちが全員同じスタートラインに立ち、同時に走り始めること。しかし足の速さには違いがあるので、順位がついて結果は平等にはならない。平等とは、足の遅い子供を前から、早い子どもを後ろからスタートさせること。全員が同時にゴールすれば結果は平等になるが公平ではなくなる。

だから『無理ゲー社会』の背表紙には、こう書いてあります。

きらびやかな世界のなかで、「社会的・経済的に成功し、評判と性愛を獲得する」という困難なゲーム(無理ゲー)をたった一人で攻略しなければならない。これが「自分らしく生きる」(公平で)リベラルな社会のルールだ。誰もが「知能と努力」によって成功できるようになったことで、社会は「(知能の高い)上級国民」と「(知能の低い)下級国民に分断される。

まさにベストセラー作家が知能格差のタブーに踏み込み「理不尽なゲーム」の正体を解き明かした衝撃作です。『無理ゲー社会』を読んだボクは、橘玲らしい精緻なロジックの積み上げのうえに書かれた主張に圧倒されます。でもそれによって殺伐な気持ちにもならざるをえません。

それが現実世界のひとつの側面であることは認めます。その世界観の中では、ボクたちは上級国民と下級国民に格付けされてしまうのでしょう。でもボクたちは本当にそのように生きるしかないのでしょうか。ボクは思うのです。そもそもそれは「能力格差」ではなくて「個性」だと。

「親ガチャ」という言葉が生まれました。ボクたちが下級国民に甘んじているのは親のせいだと。某・自称政治家は「日本ガチャ」だと言いました。日本ほど不幸な国はないと。この国に生まれたボクたちは不幸だと。だから日本を変えなければならないと。暴論に過ぎるとボクは思います。ただしボクは思うのです。

『無理ゲー社会』の、公平でリベラルな社会のルールの中では、個性が「能力格差」と断定されてしまいがちだと。暴論が説得力を増してくるのだと。なぜならばボクたちは、この社会の中で、基本的な欲求を満たしながら、心豊かに自由に生きていきたいからです。でもそれが難しいことを知っているからです。

□クラウドソーシングは『無理ゲー』なのだろうか?

では例えばですが、クラウドワークスとかランサーズといった、クラウドソーシング市場をどう考えれば良いでしょうか。

『無理ゲー社会』の世界観からみれば、公平でリベラルな社会そのものです。市場原理主義のうえに競争原理が支配する世界です。一部のプロライターが高い文字単価や報酬を受け取ることができる一方で、その他、大勢が限りなく文字単価ゼロ円に近づいていく報酬を分け合う仕組みになっています。

文字単価がゼロ円に近づいていくのはなぜでしょうか。クラウドソーシング市場では、残念ながら詐欺案件が多発しています。報酬を支払わなかったり、合意した文字単価を引き下げたり。中には悪質な発注者がいることも原因のひとつになりえます。しかしここではそのお話は、いったん脇に置いておきましょう。

ここで考えたいのは、クラウドソーシング市場が持つ構造的な特徴です。ここでは発注者の情報も、受注者の情報も、瞬時に効率的に伝わります。このような市場では経済学の教科書を開けば書いてあるとおり、需要と供給の関係が価格を決定します。

供給サイドから見ると、参入者が増えているのがマイナス材料です。しかもインターネット上の市場ですから、その規模が半端ありません。アマゾンや楽天では、コモディティと呼ばれるふつうの商品の価格が、利益が限りなくゼロの低価格に収れんしていきます。クラウドソーシング市場は、これらアマゾンや楽天とまったく同じ構造を持っているのです。

そのうえ昨今は、隠れた参入者が大いなる脅威をもたらしています。生成AIは、フツーの文章をフツーに、しかも大量に高速に書きます。ニュース記事などの定型的な文章は、基本的に生成AIだけで書けるようになってきました。例えばITmedia NEWSが記事執筆・編集フローに、ChatGPTを含むAI技術を導入し、日々の編集・執筆効率を上げていることは、良く知られています。

クラウドワークスの案件をみても、生成AIが生成した文章の、リライト案件が増えています。なぜかといえばハルシネーションの問題があるからです。生成AIに文章が書けたとしても、生成AIが巧妙に嘘をつく問題に対応しなければなりません。だから人間によるリライトという名のチェック作業が必要になります。もうこうなると生成AIが主役なのか、人間が主役なのか、わかりません。

ともあれライティング業界で、生成AIの活用が進むことは間違いありません。このような現象は後戻りすることがありません。だから問題は、生成AIの進化と、その普及のスピードだと思います。このような動向から「生成AIがライターの仕事を奪う論」が勢いを増しています。少なくとも需要は減少傾向にあると覚悟しておくべきでしょう。

その一方でプロライターは、ライティングの補助器具として生成AIを活用し、収入増に成功しています。例えば30%の仕事を生成AIに肩代わりさせれば、同じ時間で30%の収入増が可能になります。

つまりクオリティの高い、例えば専門性・希少性が高い記事が書けるプロライターには仕事が集まります。そのプロライターが生成AIを能力の増幅器として使いこなせれば、ますます収入は【増幅】されるわけです。しかし定型的な文章を書く分には、どうも生成AIに分がありそうです。つまり生成AIは、プロライターにとっては福音でも、新人ライターにとっては脅威です。

クラウドソーシング上の競争社会の側面から、これら現状を考えてみます。すると残念ながら、新人ライターが『無理ゲー』に参加させられている図式が浮かび上がってきます。だから早くプロライターを目指したい。でも今は難しい。それではボクたちは絶望するしかないのでしょうか。

□ボクたちはふたつの社会の間で生きている

ボクはそう思いません。なぜならばボクたちが生きている社会がふたつあるからです。ひとつはリベラルで公平な競争社会。ひとつはご縁や義理で結ばれた共生社会です。ぼくたちはこのふたつの社会を、行ったり来たりして生きています。

リベラルで公平な競争社会では、ボクたちは『無理ゲー』に参加させられてしまいます。困難なゲームをたった一人で攻略しなければならない羽目に陥ります。副業疲れが取りざたされてしまうのも、当たり前だとボクは思います。

ご縁やご恩で結ばれた共生社会は、借りを受けたし義理を感じたので、お返しをしなければならないという気持ちが大切な世界です。人情が先に立つ世界です。

この世界では「よい案件をくださったし、手厚いフォローがいただけた。だから誠意を尽くして一生懸命、記事を書いた」が成立します。発注者からすれば「納期厳守でまじめに仕事をしてくれたし、良い記事を書いてくれた。だから次もこのライターに頼みたい」が成立します。

このふたつの社会は、くっきりと分かれている訳ではありません。まぜこぜです。クラウドソーシング市場は、リベラルで公平な競争が猛威を奮う世界です。だけど良い仕事をすれば、継続案件がいただけたり、指名が入ることもあります。それにクラウドソーシング市場で経験を積んで卒業していくライターもいますよね。おそらくたくさん。クラウドソーサーの規約もそれを認めていますよね。

ここできっかけをつくって、プロ・ライターやディレクターに雇われることもあるでしょう。時には新人への指導を手厚く行ってくれることもあります。このように共生社会の特徴を強く持つ世界があります。かといって手放しで慈善事業をしてくれているわけではありません。ビジネスである以上、コスト意識と無縁でいられる訳ではありません。今、恩を受ける度合いが高ければ、いずれ報酬に見合う仕事でお返しする必要があります。修行を重ねることが求められるのは当然かと思います。

ありそうなストーリーを考えてみます。はじめから働き口を確保するアプローチもあります。でもここではクラウドソーシングを入り口にする方がありそうです。仮に入り口がクラウドソーシングだとしても、基本方針としては、共生社会への参加を目指した行動を始めるべきだと思います。例えば良い仕事をして、継続的な案件を依頼されるようになるといったことです。

とすれば、一周まわってはじめの問題に戻ってきます。つまりボクたちは「収入が得られなかったり安定しない期間の不安やあせりにどう立ち向かえば良いのか」という問題です。

□今使える時間とお金の燃焼率を見定める

この方法のメリットは、原則レベルではとてもシンプルだからすぐに実行できることです。

まず「今、生活のために自由にできるお金」を計算します。それから「確実に入る月収」を計算します。このときのコツは最悪のケースを想定することです。例えば収入が安定しないフリーランサーは、思い切って「確実に入る月収」をゼロと設定しましょう。会社勤めをしていて月給がある場合は、月当たりの手取り額を計算します。もしも確実に見込めるボーナスがあれば、それを加えるのもありですが、やはり最悪のケースを想定しておいた方が良いと思います。もちろん会社が倒産したりという超最悪な可能性もありえますが、それは今は頭の片隅にとどめておくことにしましょう。

それから「最低限の生活の維持に必要な月あたりの支出」を計算します。いずれにしてもコツは、起こりうる最悪のケースに対して、最低限の生活の維持がどれだけできるかを明らかにしておくことです。これによってある種の覚悟を決めることができるようになります。

「確実に入る月収÷月当たりの支出」が1よりも大きい場合、お金の心配は当面ないことを意味します。だから「時間の燃焼率」の検討に入ります。例えば会社勤めで副業だとしましょう。だから収入に見合った生活をしている限り、生活の心配はないとしましょう。その時は「自由にできる時間」を計算します。その時間をどう使うかを決めましょう。例えば「自由にできる時間」を、すべて投入すると(覚悟を)決めたとします。

やる気の維持のために、例えば毎日なり毎週末に成果を振り返って、何を積み重ねているのかを振り返り確認するといったテクニックがあります。3か月ごとに何を積み重ねてきたのかを振り返り、その後の軌道を修正する方法もあります。あるいは「3年やれば何かができる」という信念を持って一直線に行動する人もいます。

問題は「確実に入る月収÷月当たりの支出」が1よりも小さい場合です。仮に「確実に入る月収」がゼロとして計算してみてください。「今自由にできるお金÷最低限の生活の維持に必要な月当たりの支出」がお金の燃焼率です。その値の月数分だけ最低限の生活が維持できます。あなたがフリーランサーだとすると、この状況に対して、いくつかの対応方針を選ぶことができます。ただしどれを選ぶかはあなた次第です。

  • 最低限の生活が維持できる間、自由にできる時間をすべて「書く仕事」に投入する(と覚悟を決める)。その時間を使い尽くしたら、どうするかを予め考えておく。
  • いくらかの時間を「確実に入る月収」に振り分ける(と覚悟を決める)。例えば時間給のアルバイトやパートは「確実に入る月収」になります。その分、自由にできる時間が減ることになります。
    個人的な意見ですが、この方法には難しさがあります。時間給のアルバイトやパートにやりがいが感じられない場合、精神的にも体力的にも消耗していきます。「書く仕事」がそっちのけになってしまいがちになります。あくまでも個人の選択ですけれども。
  • 最低限の生活に必要な月当たりの支出を減らす努力をする。
    そのために節約術を駆使するといった方法があります。でも日用品を100均に変えても大した節約にはなりません。なぜならば最低限の生活に必要な支出のうち、家賃とか光熱費とか食費などが占める割合が大きいからです。
    ボク個人は、断捨離を断行してミニマリズムに徹するとか、自給自足を実践するといった方法を好みます。ボク自身もやったことがありますが、思い切って田舎に移住して生活費を下げるといった方法も考えられます。つまりライフスタイルを根本的に変えるといった方法が考えられます。
    都会暮らしをしていると、節約術や自給自足の実行がなかなかに難しいのですが、ミニマリズムに徹するのはおすすめです。

□胸がときめく不安の解消術

既におわかりのとおり、この記事で述べた方法は、新人ライターが直面する不安やあせりをズガンっと撃破するビームライフル*1ではありません。そもそも新人ライターには領域展開*2なんてできません。それよりもむしろ最悪のケースを想定して、どのようにその問題に立ち向かうのかの覚悟を決めること。それによって精神的な苦痛や不安の解消を援ける方法だということができます。

最近の行動心理学の知見では「やる気があるから行動する」のではなく「行動するからやる気が出る」のだそうです。この方法の援けを借りることで、行動が停滞するよりもむしろ行動する方が、結果的に問題解決につながるという考え方をしています。マーク・ランドルフの言葉を繰り返すと「行動する1時間は考える3か月間に相当する」なのです。

ところで同じ支出を減らす方法を考えるにしても、自給自足の力を高めたりミニマリズムに徹したり。ライフスタイルの変革に取り組むことは、それはそれで愉しいものです。世界が変わって見えるようになります。アメリカでも活躍しているコンマリさんは、片付けひとつをとっても「胸がときめくかどうか」が境界線だそうです。

せっかく「書く仕事」に踏み出したのに、すり減らして生きるなんてもったいない。アインシュタインはこう言いました。

ある問題を引き起こしたのと同じマインドセットのままで、その問題を解決することはできない

*1:アニメ「ガンダムシリーズ」より
*2:アニメ「呪術廻戦」より
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