なぜ賢人は目的や目標から始めることを善いこととしないのだろうか?-シリーズ1
ボクはこの記事で、「目的や目標」から始めるという広く受け入れられている方法には代替案があると書きました。もうひとつの仕事術である<今すぐできる小さなこと=手段>からはじめることを提案しました。
これはボクたち新人ライターに向けて贈った言葉です。でも本音で言えば、新人ライターに限らず、たとえ大企業であっても、この考え方を取り入れるべき時代がきたのだろうと考えています。
そこで虎の威を借りるわけではありませんが、賢人はこのことについて何を言っているかをまとめてみました。
「目標にもとづく現代の経営」の始祖、経営学の偉人、ピーター・ドラッカー
ピーター・ドラッカーは、ボクたち個人の仕事にも、会社全体の仕事にも、最も影響力のあるマネジメント(経営)の方法を提唱し、その普及に貢献した経営学者です。
ドラッカーの思想の最も中核にある方法は「マネジメントにおける明確な目標設定からのとるべき行動の意思決定」です。
現代の日本企業にも深く浸透する「マネジメント・バイ・オブジェクティブズ(MBO)」の概念を提唱したのもドラッカーです。ドラッカーは「現代経営学の父」とも呼ばれ、20世紀後半に最も影響力のある経営学者とされています。
ボクは会社勤めをしていた頃に、ドラッカーの思想によるマネジメントを叩き込まれました。その頃は、あまたの企業経営者にとって、ドラッカーは神だったように思います。その流れにあって、今でも「目的・目標設定からの逆算方式で計画を立案し、達成に向けてまい進する方法」が広く一般的に善いことと信じられています。
でもボクはある時から、その考え方にある種の難しさや矛盾を感じるようになってきました。そして何人かの賢人の思想を学ぶにつれ、その疑問は確信に変わっていったのです。
星友啓が懸念する子供の情操教育への大弊害
星友啓は、外発的動機が内発的動機を殺すと言いました。
星はスタンフォード大学哲学博士終了後、同大学の哲学部講師として教鞭をとりました。その後、スタンフォードオンラインハイスクール校長に就任。この学校はオンラインで運営されていながら、今では全米トップ校のひとつに数えられるまでになっています。星は子供の情操教育についてこう述べました。
目標を立てるわけです。例えば勉強の話で言ったら、前回70点だったから90点にするよとか。目標って、こういうふうに数値であったりとか、このステージまで到達するとか。学ぶことが楽しくて学んでるって状態よりも、そこから発生する特典とか(報酬とか)、褒めてあげたりとか。そうすると褒められることとかもらえるものとかに子供の 動機付けが向かってしまったりするんですね。(中略)
もともと子供っていうのは、学ぶのが 楽しいっていう形で脳ができてるわけなんですね。だけれどもそこに点数であるとか報酬とか。やたらに褒めることとか、褒めること自体が 悪いんじゃなくて、成功体験を強調 しようと思うがためにですね、ちょっと余計に褒めちゃったりとか。ものをあげちゃったりするとか。それによって、外発的な動機を与えちゃったりしてしまうので、学び自体へ の内発的な動機付けがなくなっちゃうっていうようなことが起きてくるというわけです。
つまり「外発的動機」が「内発的動機」を殺すという訳です。
出典:[【自己肯定感の育て方】スタンフォード式 親子でできるメンタルトレーニング/危険な自己肯定感・求めるべき自己肯定感/最新の脳科学・心理学200以上の研究論文に裏打ちされた子育てメソッド」(YouTube:PIVOT公式チャネル)
ボクたちはなぜ「書く仕事」を選んだのだろうか
大人だって同じです。MBOの運用がなかなかうまくいかない。お悩みの方はたくさんいらっしゃると思います。MBOにおける評価には、どうしても数値目標がついてまわります。その成果で昇格したり昇給したり、しなかったり。褒められたり、褒められなかったり。
ここでも外発的動機が内発的動機を殺します。誤解を避けるために言いますが、ボクは目的や目標、意図や意志を持つことには意味があると思っています。それが内発的動機によるものである限り。
ボクは「書く仕事が好きだし、書く仕事がしたい」と気付いたのでこの仕事を始めました。でもぼくが心配するのは「〇〇か月で月□□万円のロードマップ」、つまり外発的動機に刺激されて行動を起こすことです。その結果、「書く仕事が向いている」と気付いた人は幸せです。でもそうではない場合もあるように思えます。
橘玲はボクたちが「夢の洪水」に溺れかけていると言った
橘玲の『無理ゲー社会』が再び登場です。橘玲はボクがリスペクトする作家の一人なので、度々、登場をお願いすることになりそうです。ところで『無理ゲー社会』は、このような現代世相を明らかにしました。少し長いのですが引用します。
2021年2月25日、日本経済新聞の見開き全面広告で「ウソつきをヒーローにしよう」という「April Dream」なるプロジェクトが告知された。エイプリル・フールの「ウソ」はやめて、4月1日はみんなが「夢」を発信するヒーローになり、小さな希望をつくってみるのだという。(中略)
もちろん私は、この”善意”を否定する気は毛頭ない。不思議に思うのは、すでに日本には「夢」があふれているのに、これ以上、「夢」が必要なのか、ということだ。大学で学生のキャリア支援を行う高部大問は、若者たちが夢に押しつぶされていく実態を「ドリーム・ハラスメント」と名づけた。(中略)ある生徒は「夢を持つことを強制されている」と高部に訴えた。「小学生のときに夢を具体的に決めることを強制されて以来、将来の夢という言葉が嫌い」「夢がないことがそんなにダメなのか」「夢に囚われずに生きたい」というのが若者たちの本音だという。
これはいわば「夢のファシズム」で、現代の若者は、大人や社会が「夢をもたせよう」とすることをハラスメント(虐待)と感じているのだ。(中略)誰もが「自分らしく生きなければならないリベラルな社会では、夢は一人ひとりがもつしかないにも関わらず強制される(誘導される)目標は、「自分らしさ」を抑圧するのだ。(中略)こうして若者たちが「夢の洪水」に溺れかけているのも無理はない。
WEBやSNSにあふれる夢や目標に、内発的動機がともなわない場合、それはボクたちを溺れさせる洪水でしかないのです。
夢の洪水か、やりがい搾取か、それとも……
需要がなければ需要をつくりだす。それが市場原理主義におけるビジネスの基本ルールです。それがマーケティングの真髄だったりします。誰かが言った有名な言葉に「資本主義とはかっぱらいだ」があります。
だから「〇〇か月で月□□万円のロードマップ」に誘発されたボクたちの前に、有料のプロダクトや塾、セミナー、オンラインサロンが待っているのはあたりまえです。問題は料金に見合う、良心的なプロダクトやサービスもある一方で、「やりがい搾取」でしかない、内容すかすかのものがあることです。特に高額なコンサルは要注意です。まず近寄らないことをおすすめします。
では注意を払って良心的なものを選べば、それで問題解決でしょうか。詐欺案件のような極めて悪質なものは厳重注意ですが、でもすかすか商品はクーリングオフで返品したり、オンラインサロンであればさっさと退会することで、それで問題解決でしょうか。
オンラインサロンに一時期ほどの勢いがありません。大炎上して衰退しているものが目につきます。有料級のコンテンツを頻繁に大量に投入しているものは勢いを保っているようです。でもそれとてアンチや炎上に悩まされています。
ボクはふたつの理由でこの現象が起きていると思います。ひとつはSNS上のコミュニケーションの難しさです。文字中心のやりとりでは、その人がどういう状況でその発言をしたのか、どういう気持ちで発言したのか、真意を読み取ることができません。
最近、お笑い芸人が訴えられる事件がありました。そのお笑い芸人の、X(twitter)上での発言ひとつを取り上げて報道番組が組まれるほど、注目を浴びた事件です。でもそれほどSNS上のコミュニケーションには、解釈の幅があるという傍証でもありますね。
もうひとつの理由がこの記事の主眼です。仮に「〇〇か月で月□□万円のロードマップ」に触発されて、オンラインサロンや塾、セミナーに参加した場合を考えてみます。内発的動機が伴う場合、それは自分事です。だから熱心になにかを得たいと取り組みます。
でも外発的動機が刺激されて参加した場合、それはどこにもない『正解さがし』をすることにならないでしょうか。簡単に手っ取り早く稼げる手段への期待が先行しないでしょうか。それさえやれば成功するロードマップを知りたいとならないでしょうか。でもそんな『正解』はどこにも存在しないので、がっかりすることにならないでしょうか。
「〇〇か月で月□□万円のロードマップ」であおったサービス提供者に問題があるのか。外発的動機にあおられて参加した参加者に問題があるのか。そもそもそれは問題なのかもわかりません。でも過去の自分を振り返ると、それによって疲弊していったのは確かです(苦笑)。もしかしたら副業疲れ現象の遠因のひとつが、こんなところにあるのかもしれません。
内発的動機に支えられていても目的や目標から始めることは難しい
繰り返しになりますが、ボクは内発的動機に支えられた目的や目標には意味があると考えています。でもそれが外から与えられたものである場合、それはとても危険であること。でもそれが仮に外から与えられたものであっても、内発的動機に支えられていれば、つまり『自分事』であれば、機会に転じることができることを述べてきました。
もちろんそれがすかすかの「やりがい搾取商品」だったり、詐欺案件でないことが大前提ですが。
でも仮に内発的動機に支えられたものであっても、目的や目標からはじめることには困難や矛盾がつきまとう場合があるのです。ちょっと長くなりました。ということでシリーズ2に続きます。
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